自由の相互承認【下】『教育』
こんばんは。明日が山場ということもあり、本日は最後の1人になってしまいました。そんな1日ですが、考え方を変えて、『もう』水曜日が終わった。と考えてみましょう。すると、なんだかあと少しやん!と思えてきます。
『自由』を保障するには、3つの柱が必要です。3つの柱が何だったか気になる人は、バックナンバーを参照してください。その中の1つである「教育」についてアウトプットです。
よく、教育は個人のためにされるのかあるいは社会のためにされるのかという問題が話題となります。そのことについて、『自由の相互承認』は切り込んで説明されています。そもそもの教育の本質を考えてみましょう。ということです。教育の本質とは、「自由」をいかに実質化するかということにあります。その実質化をする中で「相互承認」をしていく過程があります。すなわち、私の解釈ではどちらでもない。そしてどちらもが機能しなければならないということだと思います。
しかも、この「自由の実質化」を果たすためには。と考え続けることは案外容易いことだと思います。自分の「自由」を実質化するためには自ら考えて自ら行動する人が大抵だと思います。つまり、このことが教育に本当に還元することができれば、「主体的な学び」を実現させるためにはどのようにすればいいのか。などとは考えなくてもいいと思います。言い方をストレートにすると、何もしなくても子どもたちは自分で考え行動するようになると考えます。
皆さんはいかがと思いますか?
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