akihisa学習・ツーリングブログ

バイクのツーリング日記です。通勤中に読んだ読書のアウトプットをしたりもします。

お久しぶりです

おはようございます。

 

先週の木曜日を最後に途絶えていました。それは、金曜日はバイクで通勤をし、週末は仙台に行っていたからです。週末のことは機会があれば更新します。

 

今日も、これまでと同様に『学校の当たり前をやめた』を読みました。現代社会では学校に通うことが当然かのようになっています。その理由は日本社会が生んできた学歴社会があると考えます。今や、大学への進学率は過去に比べてかなり高くなっています。その中で、親の立場としても子どもには大学まで行かせたいと考える親たちが多くなると考えます。そんな社会の中で子どもが不登校になると、親としては何が何でも学校に行かせて今後の人生をよりよく生きて欲しいと願うはずです。それは親として当然のことかもしれません。しかしながら、そのような考え方が定着してしまっている時点で、学校は本質的な意味としての学校を全うできていないということになります。本来、学校は社会をよりよく生きるための手段として存在するものです。だが、学校に行かなければ社会をよりよく生きることが難しい(できない)と考えている人がいる時点で本質的な学校は機能してません。学校に行かなければ、社会をよりよく生きることができないのかと言われればそうではないのです。決して、学びの場は学校だけではないからです。そのことを頭に入れると、学校という場所には必ずしも行かなければいけないところである訳ではないと思います。

 

昔の寺子屋のように子どもたちが教え合う、学びたいことを学び合うことが大事なんだなと思います。その証明として、学習指導要領でもアクティブラーニングという言葉が明記されているのだと。そして、それを実現するためには

『学び合い』を実践していきたいと思いました。